武田和大です。木管吹きです。

2009年頃の古文書です
ぼちぼち現状に即して書き直そうかと(2019/07)



歳のせいかリズムも音程もよくわからなくなってきたんです。

(2009/07/07)

本日、新しい生徒の面談をしました。
60歳代のご夫婦です。
2年間ほど、楽器店の教室でレッスンを続けてきたそうです。
その2人が言うのです。
「若い頃は自信があったのだが、歳をとるにつれてリズムや音程が判らなくなってきた。」

確かに歳を重ねるとそういう出来事が起こってくるのかもしれません。
が、私は未体験なのでわかりません。
ですが、私でも経験上判ることがあります。

彼らは2年以上前には、そういったことには関心が無かったのです。
この2年間で関心を持って、己の感覚と理解の程度を「初めて」体験しているのです。
つまり、それ以前から実は「判らなかったこと」であった可能性が高いんです。

音楽を己で作り出す作業とは、聴くだけの人の想像をはるかに超えた
理解力と想像のエネルギーを必要とするものです。

お二人はそのことを体験から感覚でき、自分で「判らない、できない」と
思えたのですから、ラッキーで幸せです。
なぜなら、判らないことを知っているからです。
つまり、これから何を目標に学びを進めればよいかが明らかだからです。

人の感覚とは、関心の無い事柄については非常に大雑把なものです。
ところが、関心を持って理解しようとした途端に、そのモノサシの目盛りが
日々より細かく刻めるように進化するものです。

これからお二人の目盛りはどんどん細かくなっていくはずです。
それと共に、音楽とより親しくなっていくはずです。
これからことあるごとに、二人に起こった出来事をネタにすることでしょう。
とても楽しみです。

ついでにサックス的な話。

サックスという楽器は音高ごとに運指があります。
すると、その指遣いをしていれば、その高さの音が出ると信じ込みやすいです。
ところが、そんなことは幻想に過ぎません。
とっても大雑把な目盛りのうちは、出した音高が合っていると思い込みやすいです。
それを信じている限り、そのままでも居られるし、目盛りも進化しません。
ですが、ひとたび自分のその感覚に疑問を感じた途端に、
サックスという楽器で正確な(その時点で出すべき)音高を「造る」のが
とても大変なことに気づくはずです。
それをナントカシヨウと思い始めた時から、より細かい目盛りを目指すようになります。
その時から、音楽自体ともより深い付き合いが始まるのだと思います。

リズムについてもそうです。
ドラムやベースが居なくて、メロディー楽器だけでも
グルーヴィーな演奏をすべきなんです。
それができなくては、バンドでグルーヴの一体感など出しようもありません。
ではドウシタラヨイカ、
ん〜、、その話はまた別の機会にゆっくりすべきなんだろうなぁ。



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