2009年頃の古文書です
ぼちぼち現状に即して書き直そうかと(2019/07)
「音階」ってどういうこと?_いつまでも書きかけ項目
先ずは努めて簡単に言ってみます。
音階とは、音楽に於いて複数の音高が寄り集い、ある一定の色彩感とか各音の働きを人間に感じさせうるもの、です。
それはメロディー(旋律)とハーモニー(和声)の源泉となります。
音楽現象の一般的な表記法である五線譜に於いては、玉の高低位置によって音高を表します。
五線の一番下の線に乗ってる玉の2つ下の音から順番に音を8つ並べると、Cメイジャースケール(ハ長調)が出来上がります。
つまり、五線譜表記の基準点はCメイジャーにあるわけですね。(何故か、というのは他項に譲ります。)
Cメイジャーに含まれない音高(あと5種類)はフラット・シャープを付けて表します。
いわゆる西洋音楽では、古典派以降、諸々の音階を識別するためのモノサシとしてメロディックメイジャースケール=簡単にいうとメイジャースケール(長音階)=ドレミファソラシ、を全ての基準とします。
(ジョージラッセル先生のリディアンクロマチック理論ではドレミファ#ソラシドが基準。)
(こういう話をするとですね、大抵「これをダイアトニックスケールと呼ぶ」なんて言い回しがここら辺に来るわけですが、その語源と現代的な取り扱いとのギャップなどに突っ込みたくなるので、本項では敢えて無視します。)
ドレミファソラシは各音高の相対的な位置関係(周波数比)を表し、ドの音高(周波数)がいずれであっても成立します。
つまりドレミファソラシという音名(音高の名付け方)は詳しく言うと相対音名です。
ある一定の形の階段(段差が、全音 全音 半音 全音 全音 全音 半音)の各音に付けた名前なので「階名」とも呼びます。
対して、絶対的な音高表記(この周波数ならばこの名前といった)はCDEFGABを使います。
これを絶対音名と呼びます。一般的には単に「音名」と呼びます。
ただし、サックスなどの移調楽器では音名と周波数の関係が、移調しない楽器とはある一定の差でズレます。
ということは、それも含めて一般化するならば、音名とは、
「五線上での玉の位置とその呼び名を絶対的に定義したもの」となります。
ドレミ... の各音にはそれぞれに固有の働き(音楽的エネルギー、音楽的意味)があり、それに応じた名付けもあります。
主音、属音、下属音、導音、下中音、上中音、上主音、などなど。
それがナニであるのか詳細は他項に譲りましょう。
移動ド・固定ドという言葉があります。
前者は音高の呼び方で音名・階名をきちんと使い分ける方式。
後者はドの周波数がどこにあったとしても、CDE... =ドレミ... と呼ぶ方式。
前者では音名と階名の関係によって、主人公の音がナニであるか、各音の音楽的意味などが一目瞭然となります。
後者ではその点は全くに混濁します。ドレミを唄うことに依っては各音の音楽的意味は把握できません。
ただし前者は身につけるのに一定のトレーニングと勉強が必要となります。ですが、身につけてしまえば、
ドレミで唄うだけで、あるいはドレミで音が聞こえた段階で、各音の意味が同時に解釈できるようになります。
後者は読み方を身につけるのは容易ですが、各音の音楽的意味を解釈するためには別の脳味噌を使う必要があります。
ドレミファソラシを数字の1234567に置き換えて、様々な分析の場面で活用したりします。
一般的にはローマ数字を用います。
これは、分析の場面で、Do, Re, Mi ... と複数の文字を書き連ねる煩雑を避けるのみならず、
移動ド・固定ド間の障壁を取り除くためでしょう。
固定ドの人にとってドレミはCメイジャーに於いてのみメイジャースケールを定義するわけで、
それ以外のキーでは簡単に混乱の基となるからです。
非和声音という言葉があります。
旋律に使われる音のうち、その瞬間に鳴っている和声=和音=ハーモニーに含まれない音高のことです。
流れる旋律の中で、その意味合いや演奏表現でのケアなどを考慮すべき音高なので、特にそういう呼び方をします。
古典的にはそういう音高を総じて非和声音と呼んでいますが、私はそれを更に、
「音階内非和声音」「音階外非和声音」と呼び分けるべきと主張します。
和声に対してその源泉としてふさわしい音階が一つあるいは複数存在します。
そのうちある一つをその場面で考慮すべき=利用すべき音階と決めたとして、和声の中には無いがその音階には含まれる音高を「音階内非和声音」、和声の中に無いし音階の中にも含まれない音高を「音階外非和声音」と呼ぶべきだと思うのです。
何故ならば、それぞれで発生しうる和声的現象や、演奏表現に於いてすべきケアが大きく異なるからです。
音階とはだいたいそんなとこです。
以下には西洋音楽に於ける音階の発生と構造についての考察を短くまとめてみました。
ただし難しい単語も使ってしまったので、他の説明的項目も参考にしながら理解を深めてみてください。
音階の歴史的成り立ちと、その組織的把握
__ 武田和大 最終校正Feb. 2009 __
音階とは、音楽に於いて旋律あるいは和声の材料となり得る、ある秩序に基づいた複数の音高からなる組織的構造のことです。それは様々な姿をなし得、それぞれに特有の色彩と機能を持っています。
本稿では主に西洋音楽に於いて、音階がどこから生じ、如何に発展し、現在ではどのように利用されているかを概説します。
倍音列と音階
音階の起源は自然倍音列です。
1)ピタゴラス的な、低次倍音列からの音階の導き出し。
第1次倍音=基音と第3次倍音との間に完全5度が容易に観察される。
基音を do とすると do - sol の関係。そのsolをdoとみなすと次のsolを見いだせます。
それを4回繰り返すと do,sol,re,la,miのペンタトニックスケールが完成し、更に2回重ねると
do,sol,re,la,mi,ti,fi のリディアンスケールが完成する。
リディアン、すなわち転回するとイオニアン=メロディックメイジャー(長音階)。
2)厳密に純正調的な導き出し。
人間が聞き分けうる、あるいは器楽的に抽出しうる倍音の音程を素に音階を抽出する方法。先ずは基音〜第16倍音までを観察してみます。
1_do, 2_do, 3_sol, 4_do, 5_mi, 6_sol, 7_te,
8_do, 9_re, 10_mi, 11_fi, 12_sol,
13_低めの la, 14_te, 15_高めの ti, 16_do
第14倍音までにリディアンb7th. 即ち転回すればメロディックマイナー。
第15倍音までにリディアン、即ち転回すればメロディックメイジャー。
つまり、西欧人の一般的聴覚と物理学的分析によって、リディアンとリディアンb7th.は自動的に発見されたわけです。
強いて「西欧人」と言ったのは、この手の楽理的考察に用いる発想法の根幹を西欧式手法に置くのが一般的であり、広い地球上に於いてはそれでは説明のつかない音楽的出来事も多いからです。
地域によっては1オクターブに7種未満の構成音で、音楽を完結させている。2オクターブに渡って一つの音階の完結を認識する地域もある。
ブルース的なるものを存在たらしめている理由は一般的な倍音列のみでは説明できない。西欧的聴覚では捉えられない「逆方向の倍音列理論」が、そのメイジャー・マイナーの共存性と微妙な音程のツボという特徴をよく説明している。
但しその説はまだ学術的には充分な同意を得ているわけではない。
ペンタトニックで完結する音楽にて使われる音階も一様ではない。つまり、「do, re, mi, sol, la, do」だけではない。
半音を含む様々なペンタが存在する。それを倍音列起源とすると少なくとも第11倍音の認識が不可欠。
半音の幅も様々。音階に含まれる長2度、長短3度などの音程にも結果的に影響を与える。
それが演奏・歌唱技術の低さ故のユレによらず、音程センスのツボであるならば、第13倍音以上の認識が不可欠。
平均率的には「四分音」として説明される音程を持つアラビアや日本などの音律がそれにあたる。
あるいはそれらは超高次倍音の認識が起源ではなく、ブルース同様に逆方向の倍音列の認識が欠かせないものかもしれない。
勿論、西洋音楽だとしても純正調にこだわるならば同じ短3度でもmi - sol, sol - te, fi - la, の順に狭くなる。
ので、西欧的それすなわち平均率的として話をすることにする。
さて話を戻して歴史を辿ってみます。
まずリディアンが発見されたことで、その7つの音それぞれを主音とする7つのモード(旋法)が導き出された。
(厳密に言うと、主音から減5度を含むものは殆ど利用されなかったり、使われ方で更に細分化されたりするのだが。)
各地でその地方のキリスト教会を代表する「音階的色彩」として扱われたので、チャーチモード(教会旋法)と呼ばれる。
当初は単旋律&順次進行が支配的だった。やがて、4度平行のハモりや対位法的作曲も行われるようになった。
多声構造を持つようになると、和声(横方向の響きである旋律に対して、縦方向の響きの概念)への考慮が芽生えてくる。
すると、曲の終端での「終止感」を強く求めるようになり、その効果を強く表せるイオニアンモードが流行する。
和声の変移に伴う「緊張と緩和=テンション&リリース」をもって音楽的時間を進める手法、すなわち和声法がイオニアンモードの上で発展した結果、イオニアンが支配的音階となる。ヘンデル、ハイドンを経てバッハにてそれは決定づけられた。なぜならバッハはその他のモードを既に懐古的あるいは異文化的に使っているからです。
その支配的である様は鍵盤楽器の白鍵がイオニアンであることにも見てとれます。
メイジャーとマイナー
明るい音階、暗い音階。
様々なモード達にはそれぞれに固有の色彩を持っている。その特徴の最たるものは「明るい or 暗い(メイジャー or マイナー)」です。
それを決定づけているのは、音階の第3音が主音から長3度なのか、短3度なのか、です。
機能和声の時代に至って支配的音階となったイオニアンモードですが、それと平等に対するようなストロングなマイナー音階も求められました。
ストロング、すなわちマイナーの主和音への終止感を強力に持ちうるような和声環境を構築しうるような短音階、ということ。
イオニアンが長音階の代表となるには、偶然にもそういったストロングさを備えていたので苦労は要りませんでした。
ところが、リディアンの転回形の諸モードの中では同様の強さをもったマイナーモードはありませんでした。
そこから機能和声音楽で主役と成りうる短音階を探す旅は始まったのです。
イオニアンの転回系に内在されるマイナーの音階とは、ドリアン・フリジアン・エオリアン・ロクリアンです。
ただしロクリアンはトニック=主音の上に完全5度を持たないのでモードとしての安定性は低く、固有の音階として捉えることには今に至っても様々な立場があります。
それらマイナーモードはいずれも導音を持ちません。導音すなわち主音の半音下の音。
イオニアンでは第7音が導音です。それは、主音を主音たらしめるのに強い力を持ちます。
つまりいずれのマイナーモードも主音が主音であるためのの条件がイオニアンほどには備わっていないのです。
そこで発明されたのが和声短音階=ハーモニックマイナーです。
その説明の前に自然短音階=ナチュラルマイナー(=エオリアン)について触れておきましょう。
イオニアン=メロディックメイジャーを軸とした機能和声的発想が発展する過程に於いて、その第6モードであるエオリアンがマイナーの音階を代表するものと捉えられるようになりました。
なぜならば前述の3つのマイナーモードのいずれも導音を持たないが、主音に準じて主音を特定する影響力の強い第5音に対しての導音的音高を持っているからです。
それは第5音の半音上の音です。その条件に依るとまずドリアンが候補から除外され、エオリアンとフリジアンが残ります。
導音について追加説明。ある音高に対してすぐ隣の音は進行するエネルギーを強く持ちます。
それは全音よりも半音のほうがより強いです。それは下からでも上からでも同様に生じうるエネルギーです。
エオリアンとフリジアンのうち、何故エオリアンが短調として主導権を握るようになったか。
これはまだ仮説です。あくまでも過去のヨーロッパの限られた地域の嗜好が強く影響しているのでしょう。
主音の半音上の音は確かに主音への引力を強く持ち、導音的資格に充分ですが、主音との不協和感の強さが嫌われたのかもしれません。
あるいは、上行的順次進行の旋律の最初に半音が聞こえると、十字軍の敵軍の好む旋律を彷彿とさせたからかもしれません。
対するエオリアンは、イオニアンでのメイジャーの旋律をマイナーにコンヴァートしようとした際に、その結果は充分に明瞭にマイナー化に成功している。
「じゃぁ、これでいいじゃん」つまり嗜好の問題です。
もちろんフリジアンがマイナーの代表的音階として発展した地域もあったわけです。
スペイン風とかジプシー風と捉えられる音楽がそれです。
十字軍の本陣たる地域ではそれは好まれなかったのだと私は想像します。
それ以前にイオニアン主導の機能和声に於いて、主音の半音下の音が導音として機能するという価値観は絶対的なものとして定着していたのでしょう。
イオニアンではその導音と共に、第4音が主和音の第3音への上から半音進行する導音的音高として機能しています。
これは本来の導音である第7音との間に減5度という不安定(滞在性の低い)な音程を形成し、一致協力して主和音への引力を表します。
これがイオニアンが機能和声で主導権を握れた最大の要素です。
リディアンもミクソリディアンもメイジャーモードですが、そのような強力な解決引力は持ち合わせていません。
どう考えてもイオニアンの勝ちです。
さてエオリアン=自然短音階を見てみましょう。
前述のような経緯でマイナーの代表と成り得、メロディックメイジャーに内在する音群から自然に導き出される音階として自然短音階と名付けられるに至ったわけですが、メロディックメイジャーほどには主音あるいは主和音への解決引力は強くありません。
つまり、構成音が一緒なので、旋律を紡いでいるうちに、より安定性あるいは解決引力の強いメロディックメイジャーの旋律に変身しやすいのです。
そこで、マイナーの主音あるいは主和音を「主人公」として特定するための発明が必要になりました。
それが和声的短音階=ハーモニックマイナーなのです。
自然短音階の第7音を半音上げて無理矢理に主音への導音を作りました。
その結果発生する属和音(第5音上に発生する主和音への強い引力を示す和音)はメイジャーのように 第3音への半音下降進行は持ちませんが、代わりに第5音への半音下降進行を持ち、属和音として強力に存在しうるようになりました。
つまり、マイナーの主和音あるいは主音が主人公としての性格を強く持てるようになったわけです。
さてさて、そこでまた沸き起こった問題。
和声的短音階の第5音からの上行的旋律は、十字軍の敵国を彷彿とさせるに充分過ぎる響きを持っていました(私の仮説ですが)。
十字軍の本陣としては困ったことです。
そこで発明されたのが和声的短音階の第6音をも半音上げた旋律的短音階=メロディックマイナーです。
この上半身はメロディックメイジャーと同じです。全くにスムーズな短音階が出来上がりました。
ところが!
ここでまた問題発生です。この発明がなされた当時はまだまだ単旋律メインの世の中でした。
グレゴリオ聖歌に代表されるような。
旋律は主音から始まり順次進行で描かれ主音に戻るのが代表的ルールでした。
すると、旋律的短音階の主音から上行する旋律だとちゃんとマイナーに聞こえますが、下降する時に「メイジャーに聞こえてしまう」のです。
そこでまた発明です。「下降形の旋律では自然短音階を使いましょう」。
ここに至って、短調の主音あるいは主和音を特定すべき瞬間には和声的短音階を、それ以外では旋律的短音階と自然短音階の使い分けをしましょう、という短調の一般的ルールに落ち着くわけです。
(実を言うと厳密には時代考証が少々前後してます。けど、とりあえず、成り立ちを捉えやすいような順番にしてみました。)
ですがですね、、、旋律の背景にはほぼ必ず和声が存在する時代になると、旋律自体が常にマイナーを表現しなくても楽曲自体はマイナーとして捉えられるようになります。
そうすると、下降形には自然短音階を使わねばならないというルールも有名無実化します。必ずしもそうでなくてもよいわけで。
もちろん伝統的習慣の踏襲というスタイル維持の本能としては機能しますが、20世紀に至って和声短音階と旋律的短音階も、旋律的長音階=メロディックメイジャーとは独立した諸モードの源泉と捉えて作曲や演奏が行われるようになると、下降形も旋律的短音階のままにしてモードの色彩を維持するようにもなります。
つまり、楽曲の時代性、スタイルを考慮して短音階のバリエイションは捉えたり表現の道具とせねばならない現代なわけです。
蛇足ですが器楽練習の場面に於いては、旋律的短音階の下降を自然短音階に変えるのは全く無駄なことだと私は思います。
音階練習を身体機能のトレーニングという局面で捉えるならば、そうしてしまうと自然短音階は1.5倍の、旋律的短音階は半分の練習時間という不均衡につながるからです。
モードの復活
個性がまた華開く時代になったわけで。
19世紀半ばになると、それまでのメイジャーとマイナーつまり機能和声が主導権を握っていた西洋音楽の世界で、新たな試みが起こります。
民族楽派・懐古主義などなどです。
そこで、大昔に忘れ去られたかに思われていた諸モードの活用がクローズアップされます。
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ジャズの世界でもクラシック音楽と同様の歴史が短期間のうちに繰り返されました。
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その過程で和声的長音階=ハーモニックメイジャーも諸モードの源泉たる固有の母体的音階と捉えられるようになりました。
- [ ] モーダルインタチェンジ=関係調和音一時借用=準固有和音の活用、、、、、、云々
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4つのペアレントスケールと諸モード
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新たな作曲技法としての音階
シンメトリックスケール=対照音階
- [ ] メシアンの8つのモード、、、、、云々
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マルチトニックシステム=多調共存構造とでも訳せますか、、、
多調・複調
倍音列と純正調を応用した作曲技法
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